自己愛深くいなければ、私の人生は、簡単に狂ってしまう。
自分を傷つけ、人を傷つけ、気づけばどこまでも転がっていきそうになるのです。
だから私は、自己愛を“きれいな理想”ではなく、生きるための土台として持っていたい。
精神病院を退院したてのある日のことを思い出します。
雨が降っていたのか、それとも自分の内側が雨に打たれていたのか——その区別もつかないほど、気持ちは沈んでいました。
「私はなんてダメなんだろう」
「この先どうしていけばいいんだろう」
そんな言葉が、頭の中をぐるぐる回っていました。
そのとき、ふっと浮かんだのです。
「私は、自分を大切にしてこなかった」
統合失調症の発病の原因は、はっきりとはわからないと言われています。
ただ、ストレスが関係することもある——そう聞いたとき、私の中では思い当たることがありました。
発病前、私が強いストレスだと感じていたのは、絵をあきらめようとしたことでした。
当時、私はお絵描き教室の先生の仕事をしながら、イラストの仕事もしていました。
稿料は安く、たくさん描かなければ生活にならない。
だから私は、徹夜を重ね、枚数をこなして描き続けました。
無理が積み重なって、気づけば床にばったり倒れてしまうこともありました。
体力は限界で、短い時間で仕上げる絵は、自分が納得できるものではなくなっていました。
そして、あるとき、あまりのつらさに思ったのです。
「もう、絵をあきらめよう」
本気できっぱりそう思った瞬間、自分でも驚くほどの衝撃が走り、そのまま気を失いました。
それからしばらくたった、ある日、統合失調症の症状が現れました。
私にとって絵をあきらめることは、
自分で自分に「もう生きる意味を持たなくていい」と言い渡すようなことでした。
本当は「よく頑張っているね」「つらかったね」と抱きしめるべき自分に、
私は冷たい判決を下してしまったのだと思います。
だから、退院したての日に「自分を大切にしてこなかった」と気づいたとき、
最初に心に灯ったのは、画家になろうという気持ちでした。
子どもの頃からの夢だった、「画家」。
たとえ売れなくても、認められなくても、
たとえ違うことでご飯を食べていても、
自分が画家だと思うなら、それでいい。
私は、そうやって画家として生き、画家として人生を終える。
死ぬその日まで、絵を描く。
そう決めたとき、不思議なくらい心は安心し、前へ進む力が戻ってきました。
それは、私の自己愛でした。
自己愛深くなるということが、やっと私にわかった瞬間でした。
売れるかどうか、認められるかどうかとは別の場所で、
私は私の命が望むものを、静かに守っていきたいのです。
自己愛深くいれば、すべてがうまくいく。
今は、そんな風に信じています。
どうか今日も、私が私の味方でいられますように。
そして、絵を描く手が、やさしく続いていきますように。