横須賀の観音崎へ向かう途中、海を見下ろす場所に走水神社があります。
ここは 日本武尊(ヤマトタケル) と、その后である 弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと) をお祀りする神社です。東征の旅の折、尊がこの地の人々に授けた冠を、村人たちが石櫃(いしびつ)に納め、その上に社を建てたのが始まり――そんな伝承が残っています。
私にとって走水神社は、とても尊く、やさしい場所です。
数年前の春、初めてこの神社を訪れたときのこと。参拝を終えると、きれいなアゲハ蝶が現れて、私の手にとまったり、頭の周りをくるくる回ったりしました。ひらひら舞う姿があまりに愛らしくて、海の見える小高い丘まで、まるで一緒に散歩をするように歩いたのを覚えています。
「待っていました。会えてうれしい」――そんなふうに迎えられた気がして、胸があたたかくなりました。
それから春になると、家の外にもアゲハ蝶が現れるようになりました。蝶を見るたびに、私は「ああ、走水神社の神さまが呼んでいらっしゃる」と感じて、参拝に向かうようになりました。
今年は近所の氏神さまにはご挨拶に行ったのに、走水神社にはまだ行けていませんでした。
一月も二週目、ある寒い日。大通りを歩いていると、地面に何かがひらひらと落ちているのが見えました。よく見ると、それは大きな蝶で、寒さのせいか、もう飛べないでいるのでした。
走水神社の神さまが「こんなにも待っているのに、あなたは来ないの」と言っているような、蝶の凍えた姿に、心の奥がごんと鳴りました。次の日、あわてて参拝に行きました。
走水神社は、弟橘媛命の愛の中にあります。
日本武尊が荒れ狂う海で船が転覆しかかったとき、弟橘媛命が海に身を投じて波を鎮めた、という伝承が残っています。
国の務めを果たす愛する人を、ただ一心に生かしたい。
弟橘媛命の深い愛情が、胸を突きます。
その瞬間に詠まれた歌として伝わるのが、次の一首です。
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
火中に立ちて 問ひし君はも
(相模の野で火に囲まれたとき、火の中で「大丈夫か」と問いかけてくれた、あのあなた――そんなふうに、夫を想う気持ちが込められた歌だとされています。)
石碑に刻まれているこの歌の、「燃ゆる火の」を読むたびに、二人の愛のようだと胸が詰まります。
ここに立つと、潮の匂いの奥から、太古の気配がふっと立ち上がってくるようで、ヤマトタケルの旅が「ひとりの英雄の物語」ではなく、旅の仲間たちの祈りが一体になった行軍だったことを思わせます。
愛に生き、愛に死んだ、花のような弟橘媛命。その愛の美しさ。
走水神社には、その美しさがどこまでも余韻のように匂い、不思議なやさしさと、愛する人を思う静かな力強さが、潮風と混じって漂っています。
そして走水神社はパワースポットだと有名ですが、私はそれ以上に、今もその愛を生きている神社だと感じるのです。
――あの蝶は、そんな純粋な愛の化身なのではないか。
私は、いまも時々そう思うのです。