生まれてはじめての記憶が、天使を見た記憶だった——そう書いたら、驚かれるでしょうか。この記憶が残っているのは、あの日が命の瀬戸際だったからだと思います。
私の両親はお店を営んでいて、家の一階がお店、二階が住まいでした。少し大きくなった姉は店に連れて行かれ、まだおむつの取れていない私は二階の部屋に残されました。
今の感覚では信じがたいけれど、昼間の私には、世話をする人がいませんでした。私はただひたすらに、夕方、両親が帰ってくるのを待っていました。両親が戻ってくる、その喜びだけを覚えています。
その日も、私は部屋に残され、一人遊びを続けていました。
気づくと部屋は薄暗く、体は不快で、喉が焼けるようで、泣くたびに苦しくなりました。
今思えば、何も飲まず食べず、ミルクももらえず、おむつも変えてもらえないまま——我慢の限界だったのだと思います。
私は泣き怒り、激しく誰かに来てほしいと欲しました。
その日の泣き方は、いつもの泣き方ではなかった。身体が、もう無理だと言っていました。
けれど、どれだけ泣いても、誰も現れませんでした。私は絶望の中で、限界を越えようとしていました。
そのときです。目の前に、白く光る“柱”のようなものが現れました。
よく見ると、その光を中心に、左右へ羽根のように光が放射していて、七色にきらめいていました。やさしい波動が周囲に満ちていました。
光る柱は、私に語りかけました。それはテレパシーのようで、言葉ではなく正確に私の心に入ってきました。
そして、私がさっきまで遊んでいた部屋の隅に転がっているビー玉のあたりを示しながら、こう伝えてきたのです。
「一人遊びに戻りなさい」
私はびっくりしました。嫌だ、と思いました。
私は、誰かに来てほしかった。抱き上げてほしかった。連れて行ってほしかった。
だから本能的に、その光に「連れて行って」と願ってしまったのです。
生きることよりも、その光のほうへ行きたい——
幼い私は、その光がこの世より深い場所につながっていると感じていました。
それでも私は、しばらくして、素直にビー玉のところへ戻りました。
そして、またそれを転がしながら、お話を作る一人遊びを始めました。
泣くのをやめ、動きを小さくしたことで、私はそこで踏みとどまりました。
そうして、やっとその日の命をつないだのでした。
今思えば、もしあのまま泣き続けていたら、脱水か何かで命に関わったのではないか——そう思っています。あのとき「一人遊びに戻る」という行動は、ぎりぎりの場面での、私にとっての“生き延びる選択”だったのかもしれません。
私の生まれて初めての記憶は、あの薄暗い部屋で見た、白い光の天使の記憶です。
けれどこの出来事は、長い間、私の心に別の形で残ってしまいました。
あのときの言葉が、私には厳しすぎるものに感じられたのです。
連れて行ってはくれなかった。
天使は厳しい。私は反射的に、そう思い続けてしまった。
けれど実際には、あの光が厳しく告げたのではなく、ただ幼い私の側が受け入れられなかったのだと思います。
それがほどけたのは、ついこの間のことでした。天使の絵を描いていた私は、その幸福に胸がいっぱいになり、ふと、こう思ったのです。
——生きていてよかった。
——生きて、こうして天使の絵が描ける。
——それは、あのとき「一人遊びに戻りなさい」と伝えてくれた存在のおかげかもしれない。
天使はきっと、私がこの世に残り、いつか絵を描くことを願ってくれたのではないか。
それは、今の私の願いと同じだ。
そう思ったとき、私は初めて、あのときの天使に「ありがとう」と言いました。
自分がどう思われるかもかえりみず、あの瞬間の私にできる限りのことをしてくれた。そう受け取ったからです。天使とは、深い愛情に満ちた存在なのだと、思わずにはいられませんでした。
それから、この目で天使を見たことはありません。けれど、私の最初の記憶が、絶望の中にありながらも美しかったのは、あの不思議な光のおかげです。
そして私は今も、あの光がどこかで私を守ってくれている。そんなふうに感じています。
もしあなたにも、心を支えてくれる“光”のようなものがあるなら、それが今日もあなたを守ってくれますように。あなたの歩みの上に、深く強い守りがありますように。
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