「詩とメルヘン」という雑誌がありました。やなせたかしさんの編集で、サンリオ出版から刊行されていました。『詩とメルヘン』は1973年に創刊され、2003年まで続いた文芸誌で、詩やメルヘンと、抒情的なイラストレーションの世界を育てる場でした。ウィキペディア+1
今は手元にありませんが、私はこの雑誌が大好きでした。大きな紙面いっぱいにカラーの素晴らしいイラスト。詩は心打たれるものばかりでした。雑誌に使っている紙は厚手で上質なものを使うのが、やなせさんのこだわりでした。
まだ若かった私は、本屋さんに行って、こそこそとこの雑誌を買いました。この雑誌の世界があまりにも純粋で、美しくて、堂々とレジに持って行くのが少し恥ずかしかったのです。イラストの投稿もしていて、佳作に選ばれたこともありました(今とは名前が違います)。そのときのやなせさんの講評が、今でも私の心の指針になっています。
やなせさんは、私の絵をシャガールを思い浮かばせると言ってくださいました。もっと顔に注意して描くように、ともおっしゃいました。優しく、けれどきちんと大切なところを押さえた、励まされる講評でした。
絵には抒情が大切なのだというのが、やなせさんの主張でした。たとえば、竹久夢二の絵です。
竹久夢二は、大正ロマンを代表する画家の一人で、憂いを帯びた女性像や、どこか物語を感じさせる風景を描いた抒情画家として知られています。雑誌の挿絵や本の装丁、絵葉書など、日常の紙ものの中に、美しい美人画と詩情をそっと忍ばせていった人でした。アートの森
やなせさんの中には、夢二で始まったこの抒情画の流れが、そのあとも長く続いけるようにという願いがありました。例えば、高畠華宵は大正から昭和初期にかけて、少年雑誌・少女雑誌の挿絵で大きな人気を得た画家で、美少年・美少女の絵にロマンと哀愁をまとわせました。ウィキペディア+1
蕗谷虹児は、竹久夢二の紹介で少女雑誌に挿絵を描き始め、「花嫁人形」の詩でも知られる抒情画家です。少女たちの表情やたたずまいに、夢見るような切なさをそっと封じ込めました。art.bunmori.tokushima.jp+1
こうした夢二、高畠華宵、蕗谷虹児たちの描いた少女や女性たちは、単なる「美人画」ではなく、見る人の心の中に物語や歌を響かせる「抒情画」として受け継がれていきました。その系譜は、戦前の少女雑誌の口絵や表紙絵から、戦後の挿絵や絵本、ファッションやデザインの世界へと広がり、やがて多くのイラストレーターたちの仕事にもつながっていきます。art.bunmori.tokushima.jp+2日本ミュージアム協会+2
『詩とメルヘン』で活躍された画家の方々も、この抒情画の流れの、ずっと先のほうにいる存在なのだと思います。心の奥深くを揺さぶる少女の表情、空想の生きものたち。やさしい線と色の中に、言葉にならない気持ちや、幼いころの記憶のかけらが、そっと描き込まれていました。
やなせさんは、竹久夢二からはじまる美人画・抒情画の系譜が、時代の流れの中で消えてしまわないように、その火を絶やさないようにという思いで、『詩とメルヘン』をつづけていらっしゃいました。もちろん、詩についても熱い思いがおありでした。表紙から最終ページまで、誌面全体にやさしさがあふれていて、本当に美しい雑誌でした。今はもう刊行されていないのが、とても残念です。
秋の公募展用の大きな絵を描いています。絵は下手ですが、メルヘンです。今も詩とメルヘンのあったころの、抒情や詩情を大切にできたらと思っています。やなせさんが遺してくれた大切なものを守りたいと思うのです。