私は、絵がうまくなりたい一心で、ずっとコツコツと努力してきました。
けれど、なかなか器用にはいかなくて、「もっと上手くならなくては」と自分を責めてしまうことも多かったように思います。
そんな中で、岡本太郎さんの言葉をあらためて耳にして、まるで覚醒したように、心の中に一本の柱が立ちました。
「上手くやるな 本気でやれ」
「下手であることを恥じず むしろ誇りに変えること」
この言葉を聞いて、「ああ、これでいいんだ」と深くうなずきました。
今までも、「下手でなにくそ」と思いながら描いてきたところはありました。
でも、「下手を誇りにしていい」と言われたとき、はじめて、胸の奥がふっと軽くなった気がしました。
もしかしたら、下手を誇りにしたときにこそ、
夢のように美しい絵が、ようやく描けるのかもしれません。
「上手くあろうとする必要はない」のだと気づいたら、どこかで、魂から絵を描きたいという原点に戻っていくような感覚があります。
私は、魂がこの世に生まれてくるとき、
「魂から絵を描こう」と決めて生まれてきた記憶があります。
魂から絵を描くことは、本当はとても素晴らしく、そしてとても難しいことです。
技術だけでなんとかしようとすると、魂が見せてくれている本当の絵から、かえって遠ざかってしまうこともあります。本気で、いのちで描くというのは、もしかしたら「上手く描く」より、ずっと難しいのかもしれません。
(これは、自分だけでなく、世の中の“絵を描く人”みんなに言えることだと思います。)
上手さだけにこだわらず、本当にいい絵を描けたら、どんなに素晴らしいでしょう。
これからも私は、不器用なままかもしれません。
それでも、魂から届くイメージを信じて、下手さも含めて自分の全部をキャンバスにのせていきたいと思います。
いつか「上手いかどうか」ではなく、「この絵が好きだ」と言ってもらえるような一枚に、そっとたどり着けたらうれしいです。