私の住んでいる横須賀には、どういうわけか喫茶店がたくさんあります。
どこもチェーン店なのですが、少し歩けばここにも喫茶店、曲がり角を曲がればまた別の喫茶店。
この街には、いつも目に見えない深い霧のようなものが、そっと降りているような気がします。
仕事や家事や、いろいろな思いを抱えた人たちが、その霧の中を歩いているうちに、ふと足を止めて、
「ちょっと休もうかな」と、喫茶店の灯りに吸い寄せられていくのかもしれません。
私も、そのひとりです。
疲れたとき、心が少しさびしくなったとき、横須賀のどこかの喫茶店にふらりと入り、コーヒーやお茶を飲みながら、そっと一息つきます。
私は一人でいるのが好きです。
それは誰もいない場所が好き、という意味もありますが、たくさんの人がいる賑やかな喫茶店で、一人でいる時間も好きなのです。
隣の席からは小さな笑い声が聞こえ、向かいのテーブルでは誰かが仕事の話をし、窓の外ではバスが何度も通り過ぎていく。
そんな人の気配に包まれながら、自分だけは静かにノートを開いたり、ぼんやりとカップの縁を眺めていたりする時間。
人恋しくなったとき、私はそういう場所で、人の気配だけを少し分けてもらうのです。
それだけで、心の底からじんわりとエネルギーが満ちてくる気がします。
一人でいることは、私にとっては「寂しさ」ではありません。
それは魂のご褒美のようなものです。
誰とも話さなくていい時間、
誰にも合わせなくていい時間、
自分の心の声だけを、静かに聞いていられる時間。
そんなひとときがあるからこそ、絵のイメージがふっと浮かんできたり、絵への情熱の火を、絶やさずに持ち続けていられるのだと思います。
喫茶店のざわめきの中で、一人でいるとき、アトリエで一人絵に向かうとき、私は決して「孤独」だとは感じていません。
むしろ、たくさんの魂の中に、ひとつの魂として静かに座っているような、不思議に満ち足りた気持ちになります。
そこには、目に見えない天使たちが、
「今日もよく生きていますね」と、そっと肩に手を置いてくれているような温度があります。
一人でいることは、私の特権です。
それは、世界から切り離されることではなく、世界と、そして自分自身と、いちばん優しい距離でつながるための時間なのだと思います。
横須賀の街に、今日も小さな喫茶店の灯りがともっています。
そのどこかの席で、また一人の時間を味わいながら、新しい絵のイメージが、静かに芽生えてくるのを待とうと思います。